御年95歳のブロムシュテットを聴きに、神南まで行ってきました。しかも、レパートリーがマーラー9番ということで、否が応でも「辞世の歌」感が漂い、広いNHKホールに空席がひとつもなく、しかも緊張感が途切れない、一種異様な雰囲気でした。(よい意味です)
Twitterのトレンドにも、「マーラー」が上がっていたそうです。クラオケがみんなこちらに来てしまったので、同時間の東響のサントリーは客が半分くらいしか入らない辛い状況だったようです。
改めて、日本人はブロムシュテットが好きなんだなと思います。彼は、厳格なクリスチャンで、その背景が彼の作る音楽にも表れています。硬質でノーブルな音作り。また、その姿勢がN響にピタリとはまります。N響が日本で一番上手なオケであることは疑いの余地もないのですが、それ以上にN響を特徴づけているのが「生真面目」という特質。
生真面目な指揮者と生真面目なオケと生真面目な国民なので、相性はばっちりです。カーテンコールは感動的でした。表面上は禁止されている「ブラボー」の掛け声も含めて、聴衆のレベルも極めて高かったです。
ただ、マーラーの音楽は、混乱と矛盾に満ちていて、美しいだけではなく、かなりの毒を含むエログロや、人を馬鹿にした諧謔性、どうにもとまらない性的快楽がぐちゃぐちゃになった、「爛熟と退廃」も魅力なのですが、ブロムシュテット+N響のマーラーからは、そういうある意味ネガティブな脂ぎった部分がきれいに抜け落ちて、美しい音楽が強調され、浮き上がってきます。そういう音作りが日本人は大好きなので、Twitterも「第四楽章の究極の美しさに涙」等のコメントがあふれています。日本人のオケのやるマーラー9番の完成系だと思います。
ただ、個人的には、レナードバーンスタインのドロドロの感情の入り混じった9番の方が私は好きです。第二楽章はもっとエグくていいし、第三楽章はもっとハチャメチャでよいと思いました。
マーラーのフルネームは、「グスタフ・マーラー」で、私にとっては、二人の「グスタフ」です。マーラーとクリムト。実際この二人は同時代人として大変仲良しだったそうです。クリムトといえば、嫡子40人以上、しかも全部別腹で、「爛熟と官能と退廃」の世紀末画家ですが、マーラーの音楽の本質も同じだと思います。そういう意味で、「ベニスに死す」はマーラーの本質を捉えていた映画だと思います。
ブロムシュテット、流石にマーラー9番のような大曲をやるのは、たぶん今回が最後だろうな、と思うと、感慨深くなります。記憶に残るコンサートでした。
「サヨナラ、サヨナラ」