ラースフォントリア・レトロスペクティブ特集の2週間延長に合わせて、「機会の土地アメリカ三部作」(実際は予算の関係で二作で終了)の一作目「ドッグヴィル」を観てきました。
「ダンサーインザダーク」でカンヌグランプリを撮って全世界が注目する中、オスカー女優のニコールキッドマンを主役に迎えて、「アメリカの本質」をヨーロッパの巨匠が描くという話題性も相まって、制作中からかなりの注目を浴びていましたが、完成品がとんでもない代物でした、というオチです。
ちなみに、二作目は続編で、ニコールキッドマンが同じ役を務めるという契約だったのですが、あまりの政治的な主張のヤバさで降板し、続編「マンダレイ」は無名女優を起用した結果、興行的に大失敗し、三部作の予定が、二部作までしか撮れなかったというオチがつきました。
まず、驚かされるのが全編室内セットの撮影です。ただっぴろい育館にチョークで線を引いただけのセットで街を表現しています。家のセットもないので、家に入る時は役者がパントマイムでドアをノックすると、効果音でノック音が入ります。
この手法が成功しています。観客は、全ての住民の動きを透過的、俯瞰的に観ることになるので、ある意味「神の視点」を獲得します。終盤、主人公のグレースが、男に小屋でレイプされるシーンでは、カメラが俯瞰的となることで、普通に生活している住民の日常との対比が強烈に描かれます。
映画のテーマは、ずばり「アメリカが抱える本質的な不寛容」。
①ギャングに追われた美しいグレースが清貧の村ドッグヴィルに逃げてくる→②住民は多数決の投票でグレースを匿うことを決めるが、その見返りとしてグレースに家事などのボランティアを要求する→③最初のうちは住民はグレースに優しくしていたが、徐々にグレースへの要求が酷くなり、ボランティから強制労働に変化していく→④嫌気のさしたグレースが村から逃げようとするが失敗し、住民はグレースに首輪をかけ拘束し、昼は奴隷、夜は娼婦として人間以下の扱い→⑤グレースは実はギャングのボスの娘で、親父の家業に嫌気がさして逃げていたのだが、ついに親父に発見され、ギャングが村に乗り込んできて、グレースが家畜のように扱われているのを見て激怒→⑥親父はグレースにドッグヴィルをどうするのか決めさせ、グレースは熟考の末、「この村は地球上に存在してはいけない邪悪な存在」という結論に達し、住民皆殺し(女、子供、赤ん坊まで容赦なし)+焼き討ちを実行して、ドッグヴィルは地上から消滅してジエンド。
ドッグヴィルの住民は、一見、信心深い理想的なアメリカ人家族として描かれているのですが、その根底には、異物に対する不寛容さがある、という強烈なメッセージが読み取れます。しかし、同時に「邪悪なものは抹殺して綺麗にする」というラストもどうかと思います。こういう思想が、ナチスのユダヤ人大量虐殺やアメリカの原爆投下に繋がったんだろうと思います。
色々な見方ができる複雑な映画でした。ただ、ハリウッド女優が出るのはヤバかったんだろうなとは思います。ちょっと頭の弱そうなグレースに、キッドマンはドンピシャでハマってましたが。